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『鋼の錬金術師』における罪と神

0.はじめに


ハガレン、いつも話の進み方の綺麗さとか構成の美しさに感動してしまって、
根底にあるものを深く考えられたことがなかったので考えてみました。

そしたらめちゃ長くなりましたので、ブログに書きました。



今回はエルリック兄弟の罪、
鋼の錬金術師』という物語のルールについて考えました。





1.前提


まず、梗概とか作品についてざっと書いときます。

鋼の錬金術師』は月刊少年ガンガンで連載されていたダークファンタジー

主人公であるエドワード・エルリックは、弟のアルフォンスと共に、死んだ母親を取り戻すため人体錬成の禁忌を犯す。
その結果、「持ってかれ」てしまった肉体と弟。
国家錬金術師となり取り戻すための旅を始めるが、
その過程でアメストリス国に渦巻く陰謀を知り、巻き込まれていく。


……みたいな話です。
もうちょっとキレイなあらすじ見たい人はウィキ読んでね。


骨格は「主人公たちが罰を与えられ、罪を知って償う物語」です。

ハガレン読んだことある人なら直感すると思うし、ここは論じなくても良いのではって思うので省略しちゃいます。





2.エルリック兄弟の罪


ここで浮かぶ疑問。
エルリック兄弟の罪って何だったんだろう。

まあ、人体錬成、死んだお母さんを生き返らそうとしたことなんですけど、

幼い少年たちが母親のぬくもりを求めたことが罪って、
あまりに救いが無い。
(こんな表現、原作にもあったよね〜〜〜〜)



この「罪」に関して、
何故それが罪なのかとか、
ハガレンを読んだことのある人ならば、

頭にひとつ浮かんだ答えがあると思います。





「神への冒涜」だから。





鋼の錬金術師』にはこんな感じの表現が多く出てきますよね。






3.ハガレン世界の「神」


ここでまたまた疑問が浮かびます。


あの世界における「神」とは?


人間が自らの領域を侵犯することを罪とし、
罰を与える存在は、一体何で、どこにいるのでしょうか。


原作読者ならば自明のことだと思うのですが、

ハガレン内に、そういう、共通装置としての神は出てこない。

存在しないと言った方がいいかもしれない。

みんな、それぞれの「真理の扉」の前に居る存在から、
「通行料」を取られる、罰を与えられるためです。



ここで、
真理の扉の前に立っている存在が言ってることを思い出してほしい。




「自分は"神"であり、"真理"であり、"世界"であり、"宇宙"であり、"お前自身"である」





神=真理=自分

こういう等式が成り立ってしまいました。


ここらへん考え始めると頭がこんがらがってきますね。
どういうこと?



ここでもう1個、真理の扉の前に立っている存在の言葉を思い出してほしい。




「真理の扉は誰の中にでもある」




これと、先ほどの等式を組み合わすと、

神とは自分であり、生命全てです。






すなわち、


「神への冒涜」は

他の生命への侵犯」と言い換えることができます。






一度そう思うと、
あの物語において、(メタ的な意味で)制裁を受けている者たちの共通項が浮かび上がりそうですね。  


そう、
「自らの意志によって、他の生命・魂を侵犯した者」です。



エルリック兄弟、イズミ、ショウ・タッカーに関しては
「たとえその侵犯の対象が家族、肉親であっても、罪である」という証左にもなっている気がしますね。






4.結論


ここでまとめます。

鋼の錬金術師』はエルリック兄弟が罰を与えられ、罪を知る物語。


罰とは肉体や弟を「持っていかれ」たこと。
心理であり髪であり自分である存在に「持っていかれ」ました。
コレはある意味、自罰的とも言えますね。


罪とは、神を冒涜したこと。
神とは自分自身でもあるが故、他人自身でもある。

すなわち神への冒涜とは、
お母さんの、他の生命を侵犯したこと。


それは許されないことであったことを、
エルリック兄弟は、身体を「持ってかれた」時点で認識はしていました。

でも、「実感」はしていなかった。


身体を取り戻す旅の中で、生命の尊さを感じることで、
その許されなさを身に沁みさせていく物語なんだと思います。


どんなに優れた人間であろうと、
自分の好きにできるものは、自分の魂一個分だけ。


これがあの物語のルールです。






5.感想

って感じで結論付けたわけなのですが、

ここらへん踏まえて、
プライド戦のエドが自分の魂エネルギーを賢者の石化させてるのとか読むと何か感じられるものありますよね……

あと最後まで自分たちの身体を取り戻すのに賢者の石を使わなかったのも……良いよね……


さらにそっから最終話!
真理の扉からアルフォンスを取り戻す。

あれもある意味、他の魂への介入。
自分の魂(真理の扉)を通行料としてるところはめちゃ守ってて、
その上でルールを乗り越えてるみたいなとこある気がする。



さっき「ある意味で自罰的」って書いたかなと思うんですけど、
 
少年たちが、罰を自分自身に与え、贖罪をして、
最終的に自分で自分を許してあげる……

自罰意識、罪の意識を克服して、自分から自分の肉体を取り戻す……

みたいな物語でもあるのかもしれないよね〜〜〜〜


こう書くとスゴイ神話的で観念的で、
感じることしかできない概念みたいな話になっちゃいそうなのに、そうなってないバランス感覚よ……




何が言いたいかっていうと、






やっぱハガレンは世界一美しい物語だってこと……






おわり